lemp3's Memos

節操無くリブログする機械.

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7月 19
“なお、雑誌でよく見かける「グラビア」というページは、 「芸術印刷といえばグラビア」だった時代の名残であり、 現在は、ほとんどすべてがオフセット輪転で印刷されている。” グラビア印刷 - Wikipedia (via tetsujin28mm)

(teechから)


7月 10

ちなみになぜかあまり指摘されることがないんだけど、90年代って「肉食系の男なんて最低!」みたいな風潮が普通で、

90年代の「こんな男がモテる!」みたいな言説を忠実に実行すると、実は今で言う「草食系男子」に極めて近い感じになる。

現代でいう草食系別にモテようと思ってそうなったわけではないだろうけど、近年になってそれが批判されるという身勝手さと理不尽さには

手のひら返しというより、完全に記憶障害レベルなので驚いたし、あれだけ肉食系を否定しといて草食系男子の出現に驚くとか、

その感性が未だに全く理解できない。

90年代って肉食系最低みたいな風潮が普通だったよね (via igi)

(lemurresから)


7月 8

7月 6

「日本の男はどうして背広を着るのか」ということについて、まるまる一冊かけて考察した、とてつもない書物だった。以下、要約する。

1. 日本のオフィスでは、「我慢をしている男が偉い」ということになっている。

2. 熱帯モンスーン気候の蒸し暑い夏を持つこの国の男たちが、職場の平服として、北海道より緯度の高い国の正装である西洋式の背広を選択したのは、「我慢」が社会参加への唯一の道筋である旨を確信しているからだ。

3. 我慢をするのが大人、半ズボンで涼しそうにしているヤツは子供、と、うちの国の社会はそういう基準で動いている。

4. だから、日本の大人の男たちは、無駄な我慢をする。しかもその無駄な我慢を崇高な達成だと思っている。暑苦しいだけなのに。

5. 実はこの「やせ我慢」の文化は、はるか昔の武家の時代から連綿と続いている社会的な伝統であり、民族的なオブセッションでもある。城勤めのサムライは、何の役にも立たない、重くて邪魔なだけの日本刀という形骸化した武器様の工芸品を、大小二本、腰に差してして出仕することを「武士のたしなみ」としていた。なんという事大主義。なんというやせ我慢。

6. 以上の状況から、半ズボンで楽をしている大人は公式のビジネス社会に参加できない。竹光(竹製の偽刀)帯刀の武士が城内で蔑みの視線を浴びるみたいに。なんとなれば、わが国において「有能さ」とは、「衆に抜きん出ること」ではなくて、むしろ逆の、「周囲に同調する能力=突出しない能力」を意味しているからだ。

スーパークールビズは革命なんだな:日経ビジネスオンライン (via lovecake)

(mkty-402から)


“2014年春

冬が終わり、2014年春、「きんいろモザイク」と同じまんがタイムきららMAX出身の「ご注文はうさぎですか?」が放送され始めた。  

かわいい女の子たちが、かわいいことをするだけのかわいい日常アニメであるといえ、その高い難民救済力で「難民キャンプ」としての地位をすぐに確立した。

ニコニコ動画においても、週間のコメントランキングでは全話1位をとっている(8話時点)ほどの高い人気となっている。

現在、放送も終盤を迎えているが、夏アニメへの移住先は見つかっておらず、難民を救済した「ご注文はうさぎですか?」が今度は難民を大量発生させることが予想される。”
難民とは (サマヨイシモノドモとは) [単語記事] - ニコニコ大百科 : http://dic.nicovideo.jp/a/%E9%9B%A3%E6%B0%91 (via karno)

7月 2

性はなぜ存在するのか?というテーマの中での興味深い内容を紹介します。

「動物行動学者のリー・ヴァン・ヴェレンが提唱した”赤の女王仮説”という有名な説があります。周囲の環境がたえず変化している状況のなかでは、自分自身も常に変化していかないと、現在の状況を維持していくことができない、というものです。ルイス・キャロルの童話”鏡の国のアリス”にちなんで命名された説で、赤の女王が主人公アリスに向かってこんなことを言います。「同じ場所にとどまるためには、とにかく力の限り走り続けなければならないのだよ」

「人類はウイルスの絶え間ない突然変異によって、常に少しずつ絶滅の危機へと追いやられています。それに対抗するためには、新型のウイルスが出てくるのと同じスピードで、我々自身も変化する必要がある。そのために「性」というものをつくって、遺伝子の組み換えが常に起こるようにしたわけです。男と女がなぜ存在するのか。愛し合うため?ロマンのため?いいえ、男と女がいるのは病原体に対抗するためです。」「メスがオスを選ぶ際に、ウィルスなどの寄生生物に対する対抗性の強いオスを選ぶのは、まことに理にかなっています。道を歩いていて向こうから来る人を「あ、素敵な人だな!」と思うのは利己的遺伝子のしわざかも知れません。「あの人かっこいい!」というのは、目玉模様の多いクジャクのオスがもてるのと同じ理論で説明できます。経済力はメスにとってみれば自分の子供を確実に生き残らせることができる、ということに由来しているのかも知れません。」

タカ派とハト派の戦略ゲーム

6月 30

感想だが、記事は大げさでもなんでもなかった。以前の彼を知っている人なら誰がどう見たって、カトちゃんが変だと思うだろう。

笑福亭鶴瓶と加藤茶である。一昔前なら軽妙なやり取りが見れると、期待できたはずだろう。

それどころではないのである。なんというか、お笑い芸人同士という対等な立場には思えないのだ。どちらかというと、2人のやり取りは介護する人と介護される人のそれに近い。

具体的にどういう様子かというと、すでに各メディアが書いているが、何よりもろれつが回っていないのが気になる。それに声に抑揚がない。会話への反応も鈍く、オウム返しが多くてアドリブが利かない。表情に乏しく、感情の起伏もない。歩きはするが、動作も鈍く力ないように見える。

こうして特徴を列挙してみると、なんだ高木ブーのことではないかと思えてくるが、ブーさんは若い頃からああだから心配はなく、カトちゃんの場合はそうでない分、よりいっそう心配なのだ。

番組後半で2人は別行動をとり、カトちゃんが一人で散策する。こんなことを書いたら怒られるかもしれないが、危惧したとおりまるで徘徊老人なのだ。道すがらに訪れた店の入口を間違うは、一般人の店員に会話をリードされているはで、散々である。繰り返すが、これが元々天然ボケなキャラのタレントならばいいのである。けれど、カトちゃんはそこで売っていた人ではない。

認知症では? という推測すらネットであがっているが、それはよくわからない。とりあえず、以前より衰えているということは確かだ。

何よりも、カトちゃんが「笑い者にしてはならない存在」になりかけていることが、悲しい。つまらないのではない。笑うのが気の毒なのだ。

なんとか番組の体をなそうとしているのか、カトちゃんのガチなボケに、昭和のお笑い番組ならではのおばちゃんたちの笑い声のSEがかぶせられているのだけれど、いやそれ、全然笑えねーから……。

この一件で考えたのは、お笑い芸人の「引退」である。管見では、明確な引退宣言をもってしてお笑い界から足を洗ったのは、上岡龍太郎氏と島田紳助氏だけだ。紳助氏については不祥事という要因があったものの、どちらも衰えるどころか、まだまだ現役バリバリの状態での引退だった。売れなくて引退という事例は腐るほどあるだろうが、第一線の芸人が「引退宣言」をしてスパッと業界から離れていく例は、ほとんどないのだ。

けれど、これからはそうした「引退宣言」において、身を引く姿があってもいいと思う。

なぜなら、カトちゃんみたいな姿が見たくないからだ。認知的な衰えは、お笑い芸人を「笑うのが気の毒な存在」にしてしまう。最終的には本人の勝手であるが、お笑い芸人がそうした存在になるのはアウトだと思う。

現在29歳のぼくは、ドリフターズ全盛期を目に焼き付けた世代ではない。けれどそれでも、カトちゃんのあの衰えようにはショックを受けたのだ。

加藤茶の異変から考えるお笑い芸人の”引退” (via taquyallan)

(mesotabiから)


6月 29
T. Ray (http://www.hip.atr.co.jp/~ray/
デラウェア大学にいたが、現在、京都のATRの人間情報通信研究所にいる。とても
品のいい生物学者。彼の書いたTierraに関する論文に彼の奥さんの言葉の引用が出ていて
面白い。「彼らが実在しなくてよかったわ。彼らに食べ物をあげなくてはならないし、家が
埋め尽くされてしまうでしょうから・・・」
10歳の人工生命

“人工生命のシミュレーション、ライフゲーム、セルオートマトン、確かにこういった一連のものは予測のつかない複雑なパターンを示す。
しかし、これらの結果はどこまで行っても「予測のつかない複雑なパターン」であって、それ以上でもそれ以下でもない。
平衡状態にある静止した気体であっても、見方によっては「予測のつかない複雑なパターン」なのだと言える。
多体から成る分子運動は、個々の分子に着目する限り単純な計算では予測のつかない、極めて複雑な運動だ。
しかし、その複雑な運動の集合体を遠くから粗視的に見れば、やはり静止した気体以上にはならない。
複雑なパターンが「生きている」と主張するか、ただの模様にしか見えないと主張するかは、もはや個々人の嗜好や哲学的解釈の議論であろう。
原理的に考えるなら、遺伝的アルゴリズムと気体分子運動に本質的な差異はないのではないか。
ある一定の空間内のあらゆる組み合わせを遷移する、という点において両者は同一だ。
両者に違いがあるとすれば、最終的な状態に達するまでの緩和時間(あるいはステップ数)であろう。
全くの偶然を待つだけのランダムな遷移よりも、最適解に向かう傾向を備えた淘汰の仕組みの方が、緩和時間が圧倒的に短い。”
生命は模倣し得るか

“オリジナルのTierraの結果を見るにつけ、私は1つ思うところがある。
Tierraの世界が行き着く先は「創発」ではなく「最適化」なのではないか、という懸念である。
制作者の意図したものか、意図を越えたものかは別として、Tierraの世界には1つの傾向が与えられている。
それは「CPUとメモリー消費を小さくせよ」という傾向である。
Tierraの世界は複雑ではあるが、とにかく与えられた傾向に向かって変化を遂げ、最終的にほぼ最適となった時点で落ち着いた。
この落ち着いた状態のことを平衡状態とは呼ばないまでも、もうそれ以上は変わりようのない終着点と見なせないだろうか。
醒めた目でTierraを見るなら、与えられた傾向に従って最適化を進めるプログラム以外の何物でもない。”
生命は模倣し得るか

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